すべてはひとつだった──科学・仏教・体験で読み解くワンネス
※この記事の動画verは、こちら↑
2025年。私が、溶けた日・・
今日は、ある日の不思議な体験を通して──
「自分とは何か?」「世界との境界線は、本当にあるのか?」という・・
少し不思議で、少し深い話をお届けします。

こんにちは。名無き仙人です。
名無き仙人【プロフィール】
【幸せな生き方】ブログ2010年から続いています。感謝。
ぜひ、静かな気持ちで、最後まで聞いて頂けると嬉しいです。
🔷第1章:私が消えた日

あの日、私は、静かな森を歩いていました。
風の音、鳥の声、木々のゆらぎ。
ただそれだけの、平凡な午後でした。
でも──ふとした瞬間、頭の中の「自動思考」が、完全に止まったのです。
あの予定をどうしよう。
あの人に言われた言葉が…
自分とは、こうあるべきで…
そういった、絶え間ない“私語り”が、ピタッと止まった。
すると──
不思議なことに、世界はそのまま、確かに“そこ”にあるのに・・
「私」という存在感だけが、ふっと消えていました。
呼吸と風が一体となり、体の境界線すらあいまいになっていく。
私という輪郭が、溶けていくような感覚。
あれ?私は…どこにいるんだろう?
🔷第2章:すべては素粒子──脳が引いた仮想の境界線

科学の視点で見れば──
この世界は、すべて素粒子でできています。
私の身体も、空気も、木も、あなたも。
全部、同じ素粒子が、形を変えて存在しているだけ。
つまり、「私」と「あなた」、「自分」と「世界」を分けるものなど・・
物理的には、どこにも存在していないのです。
それでも、私たちは境界を感じていますよね?

それは、脳が生き延びるために便宜的に作り出した“地図”のようなもの。
ここまでが「自分」。
ここから先は「外の世界」「他人」。
本来つながっているはずの素粒子を、脳が“安全に生きるために”分けて解釈している。
つまり、私たちが感じている「境界線」とは──
脳内の仮想的な区切りにすぎないのです。
そしてそれは、私たちが生まれたときから備わっているわけではありません。
たとえば、赤ちゃんは──自分とママの区別すらついていません。
なぜなら、「これは私、これは他人」と区別する能力そのものが・・
脳内の認知機能として、あとから発達してくるものだからです。
つまり、自他の境界線とは──
脳が“便宜上”つくりあげた認識の産物にすぎないのです。
🔷第3章:自我という“物語”
さらに言えば、「私とは誰か?」という問いに答えるとき──
私たちは、たいてい“ストーリー”を語ります。
例えば、もし「貴方は誰ですか?」と聞かれたら、なんと答えますか?
名前、年齢、性格、職業、過去の記憶。
でもそれって、よく考えると、“今ここ”には存在していないものばかり。
つまり、「自我」とは、記憶や思い込みで構成された“物語”にすぎない。
そして、自動思考が止まったとき──
その物語は音もなく消えていき・・
残されたのは、「ただ在る」という静かな感覚だけ・・
そう、だから。
自我が、思考が、『自分』と『他人・世界』を分けている装置なので・・
思考が止まると、自他の境界線が消える・・ワンネス体験が起きる。
🔷第4章:境界が消えたとき、すべては「ひとつ」だった
あの日、世界と自分の境界が溶けたとき、私は不思議な体験をしていました。
空と呼吸がつながり、音と身体がひとつになっていく。
“私は世界だった”し、“世界が私だった”。
争いも、不安も、孤独もなかった。
だって、そもそも「私」が、ないのだから。
そこには、ただ「在る」だけが広がっていて・・
その体験は、私が想像していたよりも、地味で。
もっと、愛や、喜びが溢れ出るような奇跡体験なのかとも思っていましたが・・
【無】・・無・・ム・・
確かに、音も映像も、世界はクリアに、輝いているけれど、思考がないから【無】。
表情だって、【無】、無表情。
『思考がない世界』に、まだ、慣れないからか?
ちょっと怖くて、ちょっと不安にもなる・・そんな不思議な体験・・
🔷第5章:「私」はどこにいるのか?
この体の中? 脳の中? 心の中?
──どこを探しても、「これが私だ」と言える実体は見つからない。
なぜなら、脳も心も肉体も、結局は素粒子の変化でしかないから。
それでも、確かに「何かが気づいている」。
その“気づいている何か”こそが、本当の「私」なのかもしれません。
🔷第6章:境界線もまた、ワンネスだった

よく言われます。
「境界線という幻想があるから、私たちは争い、傷つき、孤独を感じる」と。
でも──だからといって、現実世界において「境界線は不要だ」とは思いません。
この世界を生きる上で、役割や立場、自他の線引きは必要です。
自分と他人を分けて生きること自体は、決して“悪”ではないし・・
むしろ大切なものでもあります。
そして──その境界線すら、ワンネスの一部・・
すべては、この世界という現実構造の中で生じている現象にすぎないのかもしれない。
現代の科学──とくに量子物理の視点から見ると・・
この現実世界は、私たちが想像するよりも、はるかに“流動的”です。
世界は、連続して存在しているわけではありません。

むしろ、無数の“泡”のように、瞬間ごとに立ち上がっては消え、立ち上がっては消え…
その繰り返しによって、「現実」は形作られているのかもしれません。
そしてその一つひとつの“泡”の中で・・
人々は「私とあなた」「自分と他人」「内側と外側」という線を引き・・
“分かれた世界”の中で、真剣に生きています。
でもその「分かれている世界」そのものも──
やがて消え、また生まれ、また消えていく。
つまり──
境界線という「幻想」の中に生きている人々や社会、そして現実世界そのものが・・
泡のように浮かんでは消えるワンネスの一形態なのです。
私たちが「分離されている」と感じることすらも・・
大きなひとつの意識の“流れ”の中で、起こっている現象にすぎないのかもしれません。
そして、これは決して新しい考えではありません。
2500年前──仏陀はこう説いています。
「この世のすべては、縁によって生じ、縁によって滅する」
「そこに固定された“我(が)”は存在せず、すべては変化し続けている」
「すべては空であり、あらゆる現れは、実体なき流れである」
これは、表現こそ違えど・・
私たちがいま語っている現実構造と、本質的に同じことを伝えていたのです。
よって──
「分離」と「一体」、「幻想」と「真実」、「私」と「あなた」、「消えるもの」と「在り続けるもの」
それらすべてが、ひとつのワンネスの中に同時に在るということ。
それに気づいたとき・・
私たちはようやく、「境界線」さえも抱きしめることができるのかもしれません。
🔷ラストメッセージ
私たちは、脳が描いたマップの中で・・
「私」と「あなた」、「自分」と「世界」を分けて生きています。
でも、本当は──全部、同じ素粒子の流れの中にある。
そして、「私」という存在すらも、変化する波の一部。
そのことに気づいたとき、私達の世界は、少しだけやさしくなるかもしれません。
なお、関連して【人生、最後の問い「私とは誰か?」】自我の正体について、こちらの動画が詳しいです。
記事は、こちら→「私とは誰か?」──自我の正体と“気づいている意識”の真実とは?
さて、最後までご視聴、ありがとうございました。
あなたの中にある「静けさ」と「つながり」が、今日も、そっと息づいていますように。
<名無き仙人>




★合わせて読みたい★
・“波動”とは何か?|科学で解き明かす“すべては波でできている”という真実


