独我論は怖い?危険?病気?科学&哲学の答え
驚愕の事実ですが、実は、現代科学には、以下の【仮定・大前提】があるんですね。
<世界や他人達は、『自分の意識』とは関係なく、独立して実在している>
この【実在論】は、実は、あくまで『仮定』にすぎず、「本当は、どうなのか?」が、まだ、科学的に、わかっていないんです。
すなわち・・
【世界や他人達を、自分の意識が、作り出している可能性】も、科学的に、完全排除は、できずにいるんです。
そう、だから。
「実は、自分しか、存在していなかった・・」
「他人達や、世界は、自分の意識が、作り出していた」
貴方は、他人が、実在していることを、証明できますか?
「ははは。バカじゃねーの?他人は実在してるでしょ?」
そう、思いますよね。
で、まず、大前提として。
意識レベル200以下だと「思い込み」「決めつけ」が、激しくなるんですね。
意識レベルとは、人間の精神性を、17段階に分けたものであり・・
アメリカの精神科医ホーキンズ博士が、20年かけて、数万人を調査し、科学的、統計的に、作り上げたものですが・・
意識レベルが低いと、「思い込み」「決めつけ」が、激しくなって。
「白か?黒か?」二元論で、決めつけてしまいがちなようです。
「世界や、他人達は、実在しているのか?」
現代科学の結論としては「正直、わからない」なんですね。
「え?そうなの?」
いや、そうなんですよ。というのも。
結局、現代の科学では「意識とは何か?」とか「宇宙誕生のビックバンの前に、何があったのか?」など・・
根本的な部分は、まだまだ、全然、わかっていなくて。
その、科学では、わかっていないことの1つが・・
「他人達は、実在しているのか?」
「世界は、実在しているのか?」
他人や、世界の【実在性】なんです。
で、まだ、よく、わかっていないことに対して。
「世界や他人が実在していない?んなわけねーだろ?実在してるよ」
そう、思い込んで、決めつけてしまうのは、危険!というわけですね。
でね、ここからが重要ですが。
他人や、世界の【実在性】について、本当のことを、正しく理解すると・・
【量子的な考え方】が、できるようになると。
『他人の目を気にしてしまう』とか『自分と他人を比較してしまう』といった【人生エラー】を、減らせることに、繋がるんですね。
さらには!
【潜在能力の解放】や【幸福度アップ】にも、繋がっていきます。
すなわち、人生が、変わってしまうんです。
しかも、劇的に。
こんにちは。名無き仙人です。
名無き仙人【プロフィール】
【幸せな生き方】ブログ2010年から続いています。感謝。
知っているようで、知らない話『他人や世界の実在性』について、「えぇ!?そうなの?」理解が深まって、伴い。
劇的に【人生が変わる話】是非、お楽しみください。
なお、記事の前半では、前提知識として、科学や哲学の【現時点での答え】を紹介していき・・
記事後半で、【本題・核心】について触れていくため、是非、「通し」で、最後まで、ご覧いただけたら幸いです。
また、今回のような話を、初めて聞く場合は、わかりにくい部分も出てくると思うのですが・・
まずは、ふんわり、雰囲気や、感覚で、理解しながら、通しで最後まで見ればOK!ということで。
記事は、以下の構成です。
記事の構成
①そもそも現実とは何か?
②世界は実在しているか?
③自分の死後、世界は実在するか?
④現代科学の限界
⑤意識レベルと実在性
⑥人生が変わる話
まずは、①から。
現実とは何か?
実は、現実には、2種類あるんですね。
①客観的な現実
②主観的な現実
「①客観的な現実」とは、自分自身とは無関係に、存在している普遍的な真実・事実としての現実です。
「②主観的な現実」とは、自分の脳内で、体験することになる現実です。
脳を使わないと、現実を、経験できませんよね?
脳がない場合は、どこで、現実を、認識し体験できるでしょうか?
私達は、どこまでいっても、常に【自分の脳内】の現実を、経験するほか、ありませんよね。
というわけで、詳しく見ていきましょう。まずは「①」から。
客観的な現実
太陽や月、パン、人間など、あらゆる全ての物質は、素粒子から構成されている・・「素粒子の組み合わせ」なわけですが。
物質の最小単位である素粒子は、位置や運動量が、確率的にしか存在していないことが、科学的に、判明しています。
で、確率の波として存在している素粒子は、観測者である私達が、見て、観測することによって「位置や運動量が確定する」実態を、持つことになる・・
実際の、物質的な存在として、確定し「物質として存在する状態」になるんです。
逆を言えば。
素粒子は、観測者である私達が、見ていない時には、確率の波として漂っているだけの状態・・物質としては、実在しない状態にあるわけです。
つまり、現実は「確定的な実態」を持つのではなく、確率的な性質を持っているんです。
これが、現代物理学(素粒子物理学)による【現実の正体】です。
主観的な現実
私たちが、普段、感じている現実は、脳が作り出した、脳にて体験している現実なんですね。
というのも。
あらゆる全ての物質は、素粒子から構成されており、素粒子は、常に振動していて・・
音や、光も、波(波動・振動)です。
そんな、全てが、振動・波動で、成り立っている宇宙空間の中で。
私達は、目や、耳、舌、皮膚など、振動情報を、集めることができる感覚器官を使って、振動情報を集めていて。
私達は、目や耳などから受け取った、振動情報を、脳内で、映像化したり、音声化したり、処理して、【現実】を、脳で、作り出し、経験しているんですね。
これら【目や耳などから、振動情報を集めて、脳内で、現実を作り上げる作業】は、実際に起きている物理的な現象に基づいていますが、感じ方は人それぞれです。
なぜなら、同じ振動情報を、目や耳などから集めても「脳内で映像化する作業」は、人によって異なることがあるからです。
例えば心理学でも、ネガティブな心理状態だと、坂道が、実際以上に、急な角度の坂道に見えることが判明しています。
と、このように。
実は、現実は、大別すると、2種類の現実が、あるんですね。
で、これら2種類の現実があるなかで「何が本当の現実か?」と、議論になっているわけですが・・
世界は実在しているか?
「現実世界は、実在しているのか?」
「実在している」という実在論者もいれば、「実在しない」という反実在論者も、いるんですね。
で、実在論者は、「現実は、観測者とは、無関係に存在する」と主張します。
つまり、貴方や私が、この現実世界を、見ていようと、いまいと、「現実世界は常に存在している」と主張するわけですね。
一方、反実在論者は、「現実は、観察者の、意識や、知覚によって構築される」と主張します。
つまり、現実は、貴方や私など、観測者がいない場合は「実在しない状態である」と、主張するわけですね。
というのも、思い出してください。
現実世界を構成している最小単位である素粒子は・・
観測者である私達が、見ていない時には、確率の波として漂っているだけの状態・・物質としては、実在しない状態にあるんです。
だから、貴方や私など、観測者がいない場合は「物質としては、実在していない状態」になるわけですね。
補足ですが、素粒子には、興味深い性質があるんですね。
その1つが【量子もつれ】。
【量子もつれ】とは、2つ以上の粒子が特別な方法で結びつく現象です。
粒子には「スピンの向き」というものがあり、これが「上向き(↑)」や「下向き(↓)」のように表されます。
で、2つの粒子がもつれた状態である場合、これらの粒子が離れていても、一方の粒子のスピンを測定・観測すると、もう一方の粒子のスピンが瞬時に決まるんですね。
よって例えば、電子のスピンが上向き(↑)であると測定・観測されると、他方の電子のスピンは必ず下向き(↓)であることが分かるわけです。
この【量子もつれ】の現象は、どれだけ離れていても同時に起こるため、まるで情報が、光の速度を超えて伝わっているように見えます。
しかし、光速を超えて情報が伝わっているのではなくて。
シンプルに、粒子は、確率の波として存在していて。
粒子は、常に物質として、実在しているのではなく、ただ、確率の波として存在しているだけだから・・
もつれた関係にある粒子は、一方のスピンの向きが確定すると、もう一方のスピンの向きも、「確率としての存在から、実在した存在に変わる!」というわけですね。
測定・観測によって、一方の粒子のスピンが確定することで、もう一方の粒子も、確率的な存在から、実在した存在に変わるわけです。
『観測によって、確率的な存在から、実在した存在に変わる』
ということは。
素粒子は、観測されていない時は、確率の波として存在していることを意味しますよね。
で、あらゆる全ての物質は、素粒子から成る・・
全ての物質は、素粒子の組み合わせであるため。
全ての物質は、確率の波として存在しており、測定・観測するまでは、実在した物質には、ならない!ということに、量子力学的には、なるわけですね。
だから、現実の世界は・・
私達が、見て、観測しない限り、「確率の波として存在しているだけ」とも、言えるわけですね。
言い換えると。
私達が、見る行為、観測する行為によって、確率の波として存在していた素粒子が、実在した存在に変わり、伴い、現実世界が、実在した存在に変わるわけです。
ということは。
「見る人」「観測する人」がいない限りは、現実世界は、「確率の波として存在しているだけ」なのかもしれない・・
なお、仏教では「色即是空」という言葉がありますが、意味は・・
「この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)だよ」という意味です。
自分の死後、世界は実在するか?
じゃあ、もし、自分が亡くなったら、観測者である「私」がいなくなるため、この現実世界は、実態がなくなり「確率の波としての存在」になるのか?
科学的には、答えはノー。
なぜなら・・
自分がいなくなっても、他人達など、他の観測者は存在するため、他の観測者たちによって、現実世界は「観測されるから実在する」という状態が続くわけですね。
「観測とは何か?」観測の定義にも絡んでくる話ですが・・
仮に、人類が滅んでも、星や惑星同士の相互作用、生物の活動、自然現象などが、常に観測や測定を行っているため、現実世界は「観測されるから実在する」という状態が続くわけです。
まあ、でも、こう考えていくと。
そもそも、現実世界が、「物質として実在している状態で、常にある必要が、あるのか?」などとも、思えてきますが・・
言い換えると。
もはや、実態がない「確率の波としての存在」であっても、【実態がある実在】であっても・・
物質世界とは、あくまで、確率の波として存在している素粒子を、観測により、確定させて、物質化させた状態にすぎないため。
「確率の波を、観測により、常に確定させて、物質化しておく必要があるか?」などとも、思えてきますが・・
まあ、必要な時に、必要に応じて、「【観測による「確率の波の確定」すなわち物質化】を行えば、それで良いじゃね?」とも、思えてきますが・・
自分がいないのに、人間がいないのに、生物がいない場合においても、宇宙を、わざわざ、物質状態で、実在させ続けておく必要性があるか?とも、思えてきますが・・
これは哲学の話となっていくので、話を戻しますね。
前述のとおり、現実には、2種類あって。
今までの話は、【客観的な現実】の話であって。
私達1人1人の【主観的な現実】でいうと。
現実は、貴方の脳でしか、認識・体験することができないわけですよね。
例えば、貴方が亡くなり、貴方の脳機能が停止すると、貴方は、現実世界を認識・体験することが、できなくなりますよね。
その時に。
「他人達は、自分の死後も、実在し続けて、他人達が観測行為を続けるため、現実世界も、実態をもった状態で、存続し続けていく」ということを、自分は死後、確認のしようが、ないですよね。
もっと言えば。
他人達が、自分の意識とは無関係に、独立した意識をもっていて、自分の意識とは無関係に、独立して存在していることを、今現時点でも、確認のしようが、証明のしようが、ないですよね?
言い換えると。
「実は、他人達を含め、この宇宙の全てを、自分の意識が、作り出していた」という話を、完全否定する証明が、できないですよね?
私達は、自分の脳内でしか、現実世界を認識・体験できません。
他人の脳内に入っていき、他人に成り代わって、他人の意識になることは、できません。
どこまでいっても、自分の意識しか、確認ができない。
自分の脳内の現実しか、認識・体験できない。
だから、「実は、他人達を含め、この宇宙の全てを、自分の意識が、作り出していた」という話を、完全否定する証明が、できないんです。
例えば、睡眠中に見る『夢の世界』では、世界や他人達が、現れるわけですが・・
それらは、自分の意識が、作り出していますよね?
で、もし仮に。
実は、他人達を含め、この宇宙の全てを、自分の意識が、作り出していた場合。
睡眠中の「夢の世界」などは、まさに、そうですが・・
自分が亡くなると、他人達や、宇宙もなくなる・・
観測者が完全にいなくなるため、素粒子は、確率の波の状態でしか存在しない状態になり、世界は、実態をもたない【確率の波】になるわけです。
まあ、他人達を含め、この宇宙の全てを、自分の意識が作り出していた場合。
自分の死後、自分の意識の消滅に伴い、現実世界の全ても、消滅して消えてしまうわけです。
この【反実在論】の考え方が、ソリプシズムであり、唯我論とか、独我論などと、言われていて。
一般的な感覚からすると「んなわけない」であり・・
だから「唯我論」で検索すると「唯我論 危険」とか「唯我論 病気」などと、関連用語が、でてくるし・・
科学的にも、「極端な考え方であり、おかしい」と言われがちなわけですが。
でも、科学者の間でも、【反実在論】と【実在論】は、論争されているんですね。
理由の1つは、前述のとおり、ソリプシズム(唯我論)を、完全否定する証明が、できないからであり・・
現代科学の限界
現時点での科学は、以下の仮定・大前提に、基づいているんですね。
「他人達や世界は、自分の意識とは無関係に、独立して存在している」
妥当な考え方のように思えますが、でも、その絶対的な証明は、科学的に、できずにいるんですね。
というのも。
科学的な観測や実験は、すべて観測者の視点から行われるため、観測者の意識や知覚を完全に排除して、外界の存在を証明することは、できないからです。
及び、科学というのは、新しい発見により【仮定・大前提】が、何度も崩されてきているんですね。
例えば、ニュートン力学(古典力学)。
当時は、「ニュートン力学により、物理現象は、ほぼ全て、わかった」と、思われていたんですね。
でも、量子力学(素粒子物理学)の登場により・・
実は、ミクロの世界では、ニュートン力学が、通用しないことが判明したわけです。
つまり。
現時点での科学は、あくまで「現時点では」であり、完成しているわけでは、ないんですね。
今後の新発見により、また、定説が、覆されるかもしれない。
そもそも、「ビックバンの前には、何があったのか?」とか「意識とは何か?」とか、「暗黒物質と暗黒エネルギー」などなど、わかっていないことが多々あるし・・
「生命の起源」とか「地球の内部」とか「深海」など、完全にわかっていないことも多い。
まだまだ、現時点での科学では、わからないこと、わかっていないことが、たくさん、あるわけですね。
だから。
「他人達は、自分の意識とは無関係に、独立した意識をもっていて、自分の意識とは無関係に、独立して存在している」
妥当な考え方のように思えますが、正直、まだ、絶対的なことは、わからないし、わかっていない・・
にも、関わらず。
私達は「いやいや、他人達も、自分の意識とは独立した状態で、実在してるでしょ?」と、決めつけた状態で、生きている場合が多いですよね。
キーワードは「決めつけ」ですが・・
なぜか?
ここからが、本題ですが・・
意識レベルと実在性
最近、聞く機会が増えてきた【量子コンピューター】。
量子コンピューターは、今までのコンピューターとは異なる原理に基づいて動き、特定の種類の計算問題に対して、非常に高速な処理能力を持つとされています。
今までのコンピューター(今現在、私達が使っているコンピューター)は、【0または1のいずれかの状態】で、計算しているんですね。
一方で。
量子コンピューターは、「確率的に存在する」という量子(素粒子)の性質を使うことで、【0と1の両方の状態を同時に持つ】という状態で、計算ができるんです。
だから・・
量子コンピュータでは、複数のありうるパターン・可能性を、同時進行で、計算していくことができるんですね。
並列計算ができるんです。だから高速。
で、これらは、人間の思考回路も、同じであり・・
意識レベルが低い場合は、コンピューターで言えば【0または1のいずれかの状態】で、考えることになるんですね。
意識レベル200以下は、「思い込み」「決めつけ」が激しい世界。
よって、意識レベルが200以下の場合は、以下のように、どちらかに、思い込んで、決めつけて、思考しがち。
「他人達や世界は、実在している!に、決まっている」
「全ては、私の意識が、作り出しているんだ」
意識マップを作ったホーキンズ博士いわく、世界人口の85%は、意識レベル200以下。
よって、世の中を見渡してみると、多くの人が、どちらかの考え方で、生きていますよね。
そして。
意識レベル【400】理性のレベルでは、科学や合理性を重視するため。
意識レベル【400】の人は、基本的には、科学を重視して、科学的な考え方をするため・・
現実点での、科学の『基本的な考え方』の元、以下のように考えがち。
「他人達は、自分の意識とは無関係に、独立した意識をもっていて、自分の意識とは無関係に、独立して存在している」
「だから、自分の死後も、他人達は存在し、他人達や、他の生物等が観測行為を行うため、現実世界は、実在し続ける」
そして、そして。
意識レベル【500】愛以上のレベルになってくると。
コンピューターで言えば【0と1の両方の状態を同時に持つ】という状態で、考えるようになっていくんですね。
すなわち。
【科学】と【未科学】、そして【実在論】と【反実在論】の、両方の可能性を受け入れた状態で、思考するようになるわけですね。
表現を変えると。
現時点での、科学的な思考・・
「他人達は、自分の意識とは無関係に、独立した意識をもっていて、自分の意識とは無関係に、独立して存在している」
という現時点での、科学的な思考と。
同時に。
「でも、もしかしたら、自分の意識が、全てを作り出しているのかもしれない」
という確率的には、低いかもしれませんが、完全否定はできない「ありえるパターン」も含めて、同時に、思考できる状態に、なるわけですね。
別角度から言えば。
【科学】と・・
科学では、まだ、完全には解明されていない【未科学】とを、両方、合わせた状態で、思考するようになるわけです。
そう、だから。
物理学者や、医者なのに、スピリチュアルっぽいことまで、言及する人も、いるわけですね。
ホーキンズ博士も、アメリカの精神科医ですが・・
物理学者や、医者であるならば、当然、科学的な知識は持っているし、科学的な考え方も、できるわけですね。
でも、意識レベルが500以上になると、現時点での科学に限定されることなく、【未科学】のことも同時に、踏まえて、思考ができるようになるわけですね。
これ、面白い話があって。
私は、元々、めちゃくちゃ文系なんですね。
ハイクオリティなイラストを見て頂けると、一目瞭然ですが、アート系の文系。
高校では、物理とか、近づくのも怖くて、化学と生物を選択したけど、化学は、意味不明で理解できず、最終的には、生物に絞りました。
でも、生物も、科学的なことは意味不明で、ただ、丸暗記しただけ。
そんな【科学とか、わからん】の状態だったから、社会人以降。
「引き寄せの法則だ。願えば叶うんだ」
【未科学】であるスピリチュアルの信者に、なっていき・・
「科学は、まだまだ、わかっていないことだらけ」
科学のことを、見下していたんですね。
でも、潜在意識を書き換える方法【転生仙術】の各ワークに取り組むなかで、意識レベルが上がっていき・・
意識レベルが『400』理性に、近づいていくなかで。
自然と、興味関心が、科学に向かうようになっていき・・
物理学や心理学などを、「面白い」と学んでいくようになりました。
で、そのうち、自称仙人のくせに「科学しか勝たん」とか言い始めて。
「科学しか、信用ならんよね」と、科学の信者になっていって。
「スピリチュアル信者は、ヤバいよね」
盲目的に、怪しい系のスピリチュアルを信じている人のことを、見下し始めたんですね。
科学的・合理的な考え方をする人は、スピリチュアルを、バカにしがちですよね。
で、私のなかでは、科学を学ぶなかで「これ以上、もう、学ぶことはない」と思っていたのに、面白いことに。
さらに、意識レベルが上がっていき、意識レベル500【愛】以上の領域に、入り始めるなかで。
一周まわって、また、【未科学なこと】に、興味が向かい始めているんですね。
でも、昔と違う部分があって。
それは・・
【科学】と、【未科学】とを、両方、合わせた状態で、思考する状態になっていること。
で、この状態にて、【唯我論】も排除せずに、思考できるようになると、人生が変わり始めるんですね。
注意点としては。
科学的な思考が、できない状態にて「全ては、私の意識が、作り出しているんだ」と、思い込んで、決めつけて・・
「絶対、そうだ」と、信じ込んでしまう状態とは、違う点。
ネット検索すると「唯我論 危険」とか「唯我論 病気」と関連用語がでてきますが、それらは・・
科学的な思考が、できない状態で、唯我論のみを、信じ込んでしまう人が、多いから!というわけですね。
人生が変わる話
というわけで、ここからが「人生への応用の仕方」ですが・・
前述のとおり。
もしかしたら、この世界の全ては、自分自身が作り出している可能性も、ある・・
その可能性、完全否定は、できないんですね。
少なくとも、私達が生きているうちには、【現実世界の実在性】について「絶対的な答え」は、わからないことでしょう。
ということは。
普通に考えると、ありえないことだけど。
他人達とか、この現実世界などは、もしかしたら、貴方の意識が、全て作り出している可能性も、あるわけですね。
その完全否定は、貴方が生きているうちは、できない可能性が高い。
だから。
大前提として、私達は「他人達は、実在している」の大前提のもと、生きてきているわけですが。
もしかしたら。
「え~!他人達も、私の意識が作り出していたの?」と、なるかもしれないわけですね。
今、こうして話している名無き仙人も、貴方の意識が、作り出しているのかもしれない・・
その完全否定は、現時点では、できないし、貴方が生きているうちには、絶対的な答えが、わからないわけです。
もしかしたら、貴方の意識が、全てを作り出しているだけかもしれない・・
現実世界は、実態がなく実在しておらず、実在していたのは、貴方の意識だけなのかもしれない・・
その可能性を、100%排除することは、できないわけです。
ということは。
常に、「この現実世界の全ては、私の意識が作り出しているモノにすぎないのかも」という可能性を、もたせたまま、思考し、生きる必要がありますよね?
その可能性は、たとえ、低くても。
完全否定はできない限り、その可能性も「ありうる」という前提のもと、思考し、生きる必要がありますよね。
量子コンピューターで言えば。
【他人や世界は、自分の意識とは別に、独立して存在している】という可能性と・・
【現実世界の全ては、私の意識が作り出しているモノにすぎない】という可能性、両方を、同時に計算し続けながら生きる必要が、あるわけです。
で、両方の可能性を生かしたまま、同時並行で思考していくのは負荷がかかるから、多くの人は、どちらかに決めつけてしまうわけですが・・
ともかく。
もしかしたら、他人達は、貴方の意識が作り出している幻想にすぎないかもしれない・・
別の見方をすると。
もしかしたら、『自分』は、遠い将来の未来人で。
超リアルな仮想空間である【21世紀の地球】というバーチャルなゲーム空間にて、没頭した状態で、ゲームを楽しんでいるだけかもしれない・・
その場合は、他人達は、AIコンピューターが作り出しているプログラムに、すぎないかもしれない。
現実的にいって、私達人類は、今後、テクノロジーを進化させていくなかで、現実と区別がつかないバーチャル空間を、作り出していくことになるでしょう。
だから、未来人が、【21世紀の地球】というバーチャルなゲーム空間を作り出して。
楽しむために、あえて記憶を消した状態で、地球遊びゲームに参加している可能性も、否定できないわけです。
もしかしたら、死後、ふっと気がついたら、自分は宇宙船にいて。
カプセル型の『超リアル体験マシーン』から、でると・・
近くにいた未来人から「どうだった?地球ゲーム?面白かった?」とか聞かれて。
ぐあ~っと記憶がよみがえってきて。
「あぁ、そうだった。私は、最近開発された『地球ゲーム』を、やっていたんだ」
そう、今までの全てを、思い出して。
すると、「あぁ、所詮、ゲームだったのならば、もっと、楽しめば良かった」と後悔するかもしれないわけですね。
「AIによるプログラムにすぎない、他人達に、お付き合いすることなく、自分は自分で、人生ゲームを、楽しめば良かった」
そう、後悔することになる可能性も、100%の否定は、できない!というわけです。
まあ、どちらにしろ。
【他人の実在性】というのは、現時点では、証明のしようがないし、確認しようがないわけで・・
他人の目や他人からの評価
「他人から、どう思われているだろうか?」他人の目って、気になりますよね。
でも、実は、もしかしたら。
その他人も、自分の意識が、作り出しているものに、すぎないかもしれないわけです。
で、あった場合。
「あ~どうしよう。田中さんから、【頭おかしいヤバい人】と、思われたかも」
そう本気で悩むのが、バカらしくなりますよね。
これ、注意点は、「田中さんは、私の意識が作り出している実在しない存在だ」と決めつけているわけでは、ないんですね。
「田中さんは、私の意識が作り出している実在しない存在である可能性も、100%の否定はできない」というわけです。
と、同時に「田中さんは、私の意識とは別に、独立して実在している」という可能性も、保持、しているわけですね。
ただ、しかし。
【田中さんは、実在している】という『大前提・決めつけ』のもと「田中さんから、嫌われたかも」と、一方的に、悩んでいるなかで。
ふっと、隙間を作る。
ふっと「いや、でも、ワンチャン、田中さんも、私の意識が作り出している幻想かもしれないしな」と思うと・・
急に、本気で悩むのが、バカらしくなってきて。
他人の目や、他人からの評価に、ビクビクするのが、バカらしくなってきて。
他人の目や、他人からの評価から、自由になれていく!というわけですね。
逆を言えば。
他人の目を気にしすぎてしまう場合。
大前提に【他人は、実在している】という『決めつけ』が、あるわけですね。
でも、【他人は、実在しているのかどうか?】は、100%確かなことが、現時点では、わかっていない・・ということです。
他人との比較
同様に、自分と他人を比較して、「自分はダメだ」と落ち込んだり・・
「あの人は、恵まれていて、良いよな」などと、嫉妬しても、それは、無意味な行為の可能性が、あるわけですね。
もしかしたら、他人達も、自分の意識が作り出している幻想に、すぎないかもしれないし・・
現実世界、それ自体が、未来人である自分が、楽しんでいるバーチャルなゲームに、すぎないかもしれないわけです。
その場合、実在しない他人を「実在するリアルな人」だと思い込んで、ガチで、比較して、ガチで、悩み苦しんでいるならば、バカらしいですよね。
他人への遠慮
私達は、「他人に嫌われないように」「出た杭は打たれるから」と、本来の能力を、フルには発揮せずに生きているケースが多いんですね。
でも、ちょっと待って。
「実は、他人は幻想でした」となったら、どうでしょう?
「うわ~、他人達に遠慮せずに、自分の能力をフルに発揮して、人生を楽しめば良かった」と、なりますよね?
私達は【他人は実在する】の大前提で、生きていますが・・
その『大前提』自体が、違っている可能性も、完全には、排除できないわけです。
苦しむ意味はない
「苦しいけど、耐えて頑張っている人が偉い」のような風潮も、あったりしますが・・
でも、ちょっと待って。
そもそも、現実世界それ自体が、自分の意識が作り出している幻想かもしれないし・・
現実世界とは、未来人である自分が、楽しんでいるバーチャルなゲームに、すぎないかもしれない。
そして、恐ろしいことに、その可能性は、完全には否定ができないんです。
なお、もっと現実的な角度から解説した【苦しむ意味はない】についてや・・
「意味それ自体が、妄想だよ」という【意味はない】の意味」について、解説した話が、以下となります。
・【苦労が終わる前兆】苦労が多い人生の卒業時に現れるサイン!スピリチュアル
・【完全解説】「意味はない」の意味【生きる意味はない。働く意味はない】
まとめ!量子的な思考法(考え方)
今回の話は、一般論的には、頭おかしい都市伝説系の話のように思われるわけですが。
それは、一般論とは、多数派の人々のロジック・・つまり、意識レベル200以下の、考え方なわけですね。
「実在しているに、決まっている」もしくは「全ては私の意識が作り出している」という『思い込み・決めつけ』の考え方が、一般論なわけです。
そうではなくて。
量子的な考え方では、『科学』と『未科学』を、『実在論』と『反実在論』を、同時並行で、考えていくわけですね。
「どちらの可能性も、ありうる場合、どうなる?」と、考えていく思考法なわけです。
で、その量子的な思考法をするようになると。
「この世界の感じられ方」が、ガラっと変わってきて、伴い、生き方が、変わり始める・・というわけですね。
今回の話も、そうですが・・
意識レベルが上がるなかで、世界は、人生は、大きく変わっていくので、面白いです。
いや、他人も世界も、変わっていないのだけれども・・
私のなかで、信じられないレベルで、パラダイムシフトが起きていて。
この感覚の変化を「面白いなぁ」と楽しんでいる最中です。
ちなみに、観測者と観測される対象は、相互に影響し合うことが科学的に判明済。
よって、この世界の観測者である貴方が変わると、観測対象である現実世界も、【貴方の変化】の影響を、必ず受けることになるんです。
すなわち、貴方が変われば、現実世界も、変わることになるんですね。
だから、世界を変える必要はない。
自分の意識レベルを、上げればいい・・というわけです。
別角度から。
意識レベルの向上による世界の変化について『現実がバグる』という観点で解説した話のリンクが、以下となります。
・5次元に移行した人に起きる【時間のバグ】私の人生で起きた変化!スピリチャル
また、現実について、別角度から解説した話のリンクが、以下となります。
・引き寄せ【未来を書き換える方法】変わらない人生を変える方法!スピリチュアル
および、今回の話の前提知識として、知っておきたい「そもそも現実とは何か?」については、以下の記事が詳しいです。
・現実とは?①次元とは?②パラレルワールドとは?③時間とは?量子力学&仏教
・【見るだけでOK】辛い現実を変える方法(潜在意識スピリチュアル編)現実とは
世界を、変える必要は、ない。
自分の意識レベルを、上げるだけでいい。
すると、信じられないレベルで、世界は、変わっていくようです。
なお、17段階の意識レベルについては、以下の記事が詳しいです。
・【完全解説】17の意識レベル【パワーかフォースか】人間性『高い人と低い人』
さて、最後まで、ありがとうございました。感謝しています。
<名無き仙人>



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