ワンネス体験の正体|思考が止まった日の“非二元体験”とは
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その日、私は家族とショッピングモールにいました。
天ぷら定食のお店の前で順番を待っていると、隣では、妻と子どもたちが楽しそうに話しています。
そんな中、私の心はふっと静まり返りました。
──その瞬間、
思考が止まり、言葉が消え、ただ映像だけが静かに流れ始めました。
行き交う人々。笑い声、足音、BGM。
視点はどこにも固定されず、全体が透明なスクリーンのように見えている。
そして──音が異常にクリアに聞こえる。
遠くの声も近くの声も、すべてが立体的に響き、目覚め直後に音が一気に流れ込んでくるような感覚。
まるで【悟り体験・ワンネス体験】のようにも思えました。
しかし、このときの私は「浅いサマーディ」。
思考は止まっているけれど、“見ている主体”はまだ残っている。
観察者としての私が世界を見ている──
つまり「見る私」と「見られる世界」が分かれた、二元の状態です。
ではもし、この“見ている主体”そのものが消えたら?
世界はどう感じられるのか。
あなた自身は、どうなってしまうのか。

こんにちは。名無き仙人です。
名無き仙人【プロフィール】
【幸せな生き方】ブログ2010年から続いています。感謝。
これから、非二元の状態をわかりやすく解説し、最後には私自身の非二元体験もお話します。
ぜひ最後までお楽しみください。
🧩 第1章|非二元論とは何か
非二元論とは、「この世界には、本当は“二つ”のものは存在していない」という理解です。
私とあなた。主観と客観。善と悪。生と死。
すべては分離して見えるだけで、実際には一つの出来事として、ただ起きている。
難しい哲学ではありません。
これは「認知の構造」に関する話です。
私たちは、世界を脳内で再構築している。
つまり「私が世界を見ている」のではなく、
「脳が世界を生成している」んです。
🧠 第2章|二つの現実:客観的物理現実と主観現実

現実には、二つの層があります。
ひとつは、客観的物理現実。
科学で言えば、ただ素粒子が存在し、変化し続けているだけの世界。
もうひとつは、脳内の主観現実。
私たちが日々「体験」しているのは、こちらのほうです。
脳は五感を通じて外界情報を取り込み、それを「映像」「音」「感情」として再構築しています。
いわば、脳内に映写された3D映画。
そして、その映画の中心点に置かれた“カメラ”こそが──「私」という主体の感覚です。
🪞 第3章|自我という仮構造
貴方には「私」という感覚が、ありますよね。
その「私」という主体的な感覚の、正体に関する話です。
ここでは“私という感覚が脳のツールである”ことだけを理解すればOKです。
さて、ホモサピエンスは、進化の過程で、この「私」という“中心点”を持つようになりました。
なぜなら、中心点があった方が、世界を扱いやすかったから。
「私が経験した」「私が決める」「私と他人は違う」
そう認識した方が、生存に有利だった。
脳が生成した「私」という座標点──それが**自我(エゴ)**です。
しかし、これは実体ではなく、仮構造。
いわば、脳の中に立ち上がった便利なUI(ユーザーインターフェース)です。
さらに進化すると、この自我をモニタリングする機能が発達しました。
それが、メタ認知(観察者)です。
・【衝撃】私は2人いる|自動思考の私と観察者の私―人生の主導権を取り戻す方法
「怒っている自分を見ている自分」
「考えている自分を、上から見ている自分」
これもまた、脳が作り出したもう一つの仮構造。
“観察者の私”というレイヤーです。
重要なのは、この“観察者の私”も、自我の延長にすぎない!ということ。
「私は、思考・感情・肉体ではない。ただ、気づいている存在」
「“観察者の私”こそ、本当の私」
そう、言われがちですが、“観察者の私”は、自我の延長だったんですね。
🌍 第4章|二元の分離構造
こうして、脳の中には常に「私という中心点」が存在するため、主観と客観が分離して見えます。
「私がいて、あなたがいる」
「私が世界を見ている」
しかし、前述の通り、客観的物理現実としては、ただ素粒子が変化し続けているだけ。
あなたも、私も、机も空も──すべては素粒子のパターンにすぎない。
目の前に、スマホがありますよね?
でも、実際には、そこにあるのは、素粒子の集まりなんですね。
つまり、「分離しているように見えるだけ」で、実際には一体の変化が起きているのです。
🪶 第4.5章|私がいないという気づき
ここで、ある大きな気づきが起きます。
「私」という感覚そのものが・・
脳内で世界を認識するうえで、便利だから立ち上がっている仮構造にすぎなかった──という事実です。
つまり、固定的で永続的な“私”は、どこにも実在していなかった。
「私は確かに存在している」
「死んでも魂として続いてほしい」
「永遠の何かであってほしい」
そう願うのは、自我の願い。
しかし、その“願っている主体”すら、脳が一時的に生成している“仮想的な私”だったのです。
人間の脳は、認知を整理しやすくするために・・
「私という中心点」から世界を見ているように構成されています。
だから、「私が世界を見ている」「私が考えている」という感覚が、自然に生じる。
けれども、もしその「私」という中心点自体が仮構造だと見抜かれると・・
脳は、その中心を維持する必要がなくなります。
すると、“見ている主体”がいないまま、映像や音だけが、クリアに、脳内で、映し出され続けるようになる。
それは、奇妙なほどに静かな体験です。
世界はただ、そこにある。
「誰かが見ている」のではなく、“現れ”が、ただ起きている──。
この瞬間、「私」という物語が静かに終わりを迎えるのです。
☯️ 第5章|見る主体が消えるとき
では、「見る主体」が完全に消えたら、どうなるでしょうか。
観察者の私がいないのに、世界は映し出され続けている。
そこには、「私が見ている」という感覚がありません。
ただ、“見られ”が起きている。
音も光も、誰かに届くためではなく、ただ現れては消えていく現象として在る。
そのとき、「世界がある」のではなく、「世界が起きている」としか言えなくなる。
まるで、夢の中の風景が、勝手に流れていくように。
誰も見ていないのに、世界だけが淡々と、静かに展開していくのです。
🕊️ 第6章|悟る私がいなかった
この状態に入ると、「私が悟った」という言葉が、矛盾していることに気づきます。
なぜなら、“悟る私”という主体そのものが存在しないからです。
悟りとは、私が手に入れるものではなく、「私という錯覚が消えたとき、残っていたもの」そのもの。
ブッダが語った“無我”とは、“自分がいない”という恐怖ではなく・・
“誰もいなくても、すべては完全に動いている”という静かな安堵。
その安堵の中では、努力も、比較も、競争も、意味を失う。
「なるべき自分」も「過去の自分」も消え・・
ただ、“今この瞬間”という出来事だけが、在り続けている。
🐾 第6.5章|人間の夢を見ていない動物たち
実は──人間以外の動物は、もともと「主体のない世界」を生きています。
彼らの脳には、“私”という自我の中心点がほとんど作られていません。
だから悟っているわけではなく、最初から悟りの外に出たことがない状態にいるんですね。
一方、ホモ・サピエンスだけが進化の過程で・・
「私」という仮想的な中心点を脳内に立ち上げました。
そのおかげで、自分の感情をモニタリングし、未来を計画し、複雑な社会を築けるようになった。
しかし同時に──「私と世界」「私と他人」という分離の感覚も生まれたわけです。
この分離感こそが、“二元の夢”。
悟りや非二元とは、この夢が幻想だったと気づくこと。
「私が見ている」「私が選んでいる」という感覚そのものが、脳の副産物だったと見抜くことです。
その瞬間、人間は元の状態──
動物たちと同じように、主体なく、世界がただ流れていく地点へ戻っていきます。
動物は悟っていません。
でも、そもそも“私と世界”を分ける夢を見ていない。
そして、私達、人間だけが、その夢から、今まさに目を覚えようとしているのです。
第7章|二元の夢から覚めた後の世界体験
「観察者すら自我だったのか!」
ある日、私は“観察者を観察する”という状態に入りました。
・【実話】“観察者の私”を観察すると何が起きるのか|メタメタ認知とは?
メタ認知をさらにメタ認知した結果、思考が20秒ほど完全に停止し──
そのあと、「観察者も自我の一部だった」と理解してしまったんです。
その瞬間から、「私」という主体感覚が少しずつ薄れ始めました。
すると、世界が驚くほど軽くなりました。
以前は“私が存在している”という前提で生きていたのに・・
その“私”が溶けていくと、現実全体が淡く、柔らかく、軽くなった。
仕事をする、スーパーで買い物をする、日常の体験はそのまま起きる。
けれど、そこに「体験している私」がいない。
観察者として見張っている“私”もいない。
だから「これは私がやった」「あれは私のミスだ」
──そんな“私中心の意味付け物語”が脳内で立ち上がらない。
思考は自動で浮かぶけれど、重さがない。
世界は軽く、透明で、淡い。
良いこと、悪いこと、驚くこと、相変わらず、日常の中で起きるけど・・
意味付けする「私」という主体がないから、すぅ~と、すぐ次の展開へと流れていく。
感情はわくが、“物語化”されないので長く残らない。
「見る者」も「見られるもの」もないまま、日常が、ふわっと流れていく。
これが、非二元の世界の質感。
淡くて、軽い。
逆を言えば、自我が強いほど、世界は、濃くて、重いわけですね。
🌅 第7章|まとめ
非二元とは、特別な哲学ではありません。
あなたの中の“私”という視点が、ふっと緩んだとき。世界はそのままで完璧に、ただ起きています。
風が吹く。人が歩く。言葉が流れる。
それらすべてが、誰のものでもない。
「私と世界が同時に消える」とは、世界と私が、最初から分かれていなかったことに気づく瞬間。
静けさの中で、すべてがひとつに溶けていく。
──これが、悟りの最終構造。
非二元論が指し示す“真のリアリティ”・・
非二元とは、“私が消える”話ではなく、“私という物語が成立しない視点”に戻ることです。
さて、最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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それでは、また、お会いしましょう。
名無き仙人でした。
<名無き仙人>




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