完璧主義の治し方!責任感が強い人・頑張りすぎる人へ
※この記事の動画verは、こちら↑
「なんで、こんなに頑張ってるのに、幸せになれないんだろう…」
そんなふうに、心がつぶやいたことはありませんか?
「ちゃんとしなきゃ…」
「もっと頑張らなきゃ…」
「人に迷惑をかけちゃいけない…」
毎日を一生懸命に生きてきたあなたへ。
気を配って、周りに合わせて、誰にも迷惑をかけないように、ずっと、がんばってきた。
でも、ふとした瞬間。
理由もなく涙が出そうになったり、何をしても満たされなかったり。
心の奥で、こんな声が聞こえること、ありませんか?
「もう、疲れたよ」って──。
それは、あなたが弱いからじゃありません。
それは、あなたが『優しい人』だから・・「ずっと、自分を後回しにしてきた」証拠なんです。
こんにちは。名無き仙人です。
名無き仙人【プロフィール】
【幸せな生き方】ブログ2010年から続いています。感謝。
「もう、頑張らなくていいよ。今まで、よく頑張ってきたね」
今日は、成熟した貴方に訪れた『頑張る人生』の卒業式です。
是非、ご参加ください。
第2章:責任感が強すぎる理由
責任感が強い。
それは、誇れることでもあります。
でも同時に、心が壊れてしまう引き金にもなる。
「自分がやらなきゃ」
「失敗しちゃいけない」
「迷惑をかけたくない」
そんな思いで、がんばり続けていませんか?
そして。
貴方の責任感の裏には「誰かを大切にしたい」という優しさがあります。
でも──その優しさが、自分自身に向かなくなったとき、私たちは知らず知らず、苦しくなってしまうんです。
今日からは、貴方の『優しさ』を、自分自身にも、向けてあげてくださいね。
第3章:理想の私がつくる“無意識の鎖”
多くの人は、「理想の私」を心に持っています。
・職場ではミスをしない人
・家庭ではいつも優しい母親
・周囲に気配りのできる“ちゃんとした人”
その理想を持つことは、悪いことではありません。
でも問題は、その理想が“自分を縛る鎖”になってしまっているとき。
「ちゃんとしていない私は、ダメ」
「感情的になった私は、恥ずかしい」
「頑張っていない私は、価値がない」
そんなふうに、自分を否定してしまう。
気づけば、完璧であることが“前提”になってしまっている。
でも──それ、本当に必要なんでしょうか?
第4章:理想を手放す4つのステップ
STEP1:「理想」は悪くないと知る
まず大切なのは、理想を否定しないこと。
それは、あなたが“誰かを大切にしたい”という優しさから生まれたもの。
愛の形だったんです。
STEP2:「その理想があったから、ここまで来られた」と認める
理想があったからこそ、がんばれた。
誰かを守り、何かを乗り越えて、今日までたどり着いた。
あなたは、自分が思っている以上に、強くて、優しい人なんです。
STEP3:「でももう、少し緩めてもいいかも」とつぶやいてみる
完璧でいようとしなくていい。
うまくいかない日があっても、何もできない日があっても、あなたの価値は、何ひとつ減りません。
STEP4:「理想を卒業する」と自分に宣言する
それは、あきらめではなく、“成熟”です。
ずっとがんばってきた“理想の私”から、これからは“自然体の私”として生きていく。
その一歩は、小さな“ゆるし”から始まるんです。
第4.5章:不完全な私から、優しい波紋が広がる
ここで少し、私自身の話をさせて頂けないでしょうか。
ある週、私は同じミスを、一週間で、2回もしてしまいました。
朝のバタバタした時間。
長女が脱いだパジャマのズボンを、そのまま洗濯機に入れたんです。
回し終わって、洗濯機のフタを開けると「え?これ、なに!?」
ズボンの中に・・オムツが入ったままになっていたようで。
洗濯機の中は、それはもう大変なことになっていました。
思わず私は、娘を責めてしまいました。
「なんで出してないの!って。」
そしてその数日後──まさかの、また同じミス。
またズボンの中にオムツが入ったまま、回してしまったんです。
もう、ショックというか、情けないというか。
今度は、娘じゃなく、自分を責めました。
「私、何してるんだろう…」「ちゃんと確認すればよかっただけなのに…」
でも──ふと、そのとき、俯瞰して気づいたんです。
これは、自分を守ろうとする“防衛本能”なんだって。
ミスをしたくない。ちゃんとした自分でいたい。
「完璧な親でありたい」という、無意識の自我が、怒りや自己嫌悪というかたちで、現れていた。
そう気づいたとき、私は静かに目を閉じて、自分に声をかけました。
「完璧じゃなくていいよ」
「理想の私じゃなくても、私はちゃんと愛されてるよ」
「こんな不完全な私でも、大丈夫だよ」って。
その瞬間、心がスッとほどけたんです。
不完全な私を責めるのではなく、そのままの私に“許し”を与えたことで・・
ようやく、自分を受け入れられた気がしました。
第5章 ちょっとだけ構造解説
実は、頑張りすぎるのは【本能】という話です。
どうして、私たちは「もっと頑張らなきゃ」って、つい思ってしまうんでしょうか?
それは、私たち人間が“群れ”の中で生きてきた生き物だからです。
誰かの役に立つこと。
周りに迷惑をかけないこと。
ちゃんとして「偉いね」って思われること。
そうやって、周りに認められることで、安心して生きてこれた。
それが、**私たちの奥にある「生き残るための本能」**なんです。
だから、「ちゃんとしなきゃ…」「迷惑をかけちゃいけない…」そんな気持ちになるのは、自然な反応なんです。
でも、だからこそ。
そんな気持ちに気づいたときは、こうつぶやいてみてください。
「そっか、今の私は“生きよう”として頑張ってるんだな」って。
そう思えたとき、少しだけ肩の力が抜けて、今までとは違う優しさで、自分を見られるかもしれません。
第6章:ラストメッセージ
私たちはつい、“理想の私”でいようとします。
ちゃんとしていないと、自分の価値がなくなるような気がして。
誰かに嫌われそうで、見放されそうで。
でも、そうじゃない。
あなたが、あなたを責めずに、生きていてくれること。
それ自体が、誰かの癒しになっているんです。
たとえミスをしても、怒ってしまっても、何かができなくても──
あなたが、そこにいてくれること。
それが、誰かにとっての安心であり、優しさであり、救いなんです。
完璧じゃなくていい。
不器用でも、抜けていても、泣いても、立ち止まっても。
あなたという存在が放つ、あたたかくて優しい波紋は、今日もどこかで、静かに、誰かの心を包んでいます。
今日の終わりに、ただ、こうつぶやいてみてください。
「私、今日もよくやったよ。ありがとう」って。
それだけで、あなたの心は、少しやわらかくなります。
また、お会いしましょう。
貴方に、たくさんの幸せが訪れますように。
最後まで、ありがとうございました。
感謝しています。
<名無き仙人>



★合わせて読みたい★
・簡単♪ポジティブ思考になる方法3つ※ネガティブな自分を責めてしまう人へ