なぜ人は苦しむのか?「自分への執着」を手放す東洋哲学入門
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あなたにも「私」という感覚、ありますよね。
「私が、悩んでいる」「私が選んだ」「私が考えた」「私がやった」
日々の生活の中で、常に感じる『私』という感覚。

この【私】という主体感覚は、誰の脳内でも、存在しているのですが・・
もし仮に、この【私】という感覚、脳が作り出していたものに、すぎなかったら?
おぉっと、喋りすぎました。

こんにちは。名無き仙人です。
名無き仙人【プロフィール】
【幸せな生き方】ブログ2010年から続いています。感謝。
今回は、めちゃくちゃ売れてる話題の本【自分とか、ないから。教養としての東洋哲学】を参考に・・
『私』という感覚の正体を、暴いていきます。
終盤では、記事を見ながらできるワークをとおして・・
「あれ?やばっ。マジで、自分とか、ないかも」
そんな衝撃体験をして頂きます。
そう、自分探しのために、世界1周旅行に、行く必要がなかったんですね。
この記事のワークで、できちゃいます。しかも、ガチで。
是非、最後まで、お楽しみください。
それでは、まずは・・
1.要約「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」
★アマゾン★→自分とか、ないから。教養としての東洋哲学
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さて、今回の記事の元になっている本。
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
この本を、一言で要約すると・・
「苦しみの原因は、自分という幻想を信じすぎていること」です。
「え?どういうこと?」
そう思いますよね。

私たちは普段・・
「私が考えた」「私が選んだ」「私が頑張った」
そんなふうに、当たり前のように【私】という存在を感じています。
この【私】という感覚は、物心ついた頃から、ずっとあるし、あまりにも当たり前だから・・
私達は、無意識的に、こんなふうに、思い込みがち。
「【私】という永続的な、意識主体が実在している」
まあ【私】という魂みたいなものがあって、それが、自分自身の本質!的なイメージ・観念ですよね。
あなたは、そんなふうに、思っていませんか?
でも、それは観念・・つまり、思い込みにすぎないのかもしれない。
東洋哲学では「その【私】って、本当に存在しているの?」という、衝撃的な問いを投げかけるんですね。
例えば、あなたは子供の頃と同じ人でしょうか?
性格も変わった。考え方も変わった。好きなものも変わった。体の細胞だって入れ替わっている。
では、昔の自分と今の自分。
一体、何が同じなのでしょうか?

ブッダは「固定された自分なんて存在しない」と説きました。
怒っている自分。笑っている自分。落ち込んでいる自分。
それらは全て、一時的に現れては消えていく現象にすぎない。
にもかかわらず、私たちは「これが私だ」「こうあるべきだ」と、自分に執着して苦しむ。
だからブッダは言うんですね。
苦しみの原因は、自分への執着である。
そして、この本では、ブッダだけでなく・・
老子、荘子、龍樹(りゅうじゅ)、親鸞(しんらん)、空海といった東洋の賢者たちの教えを通して・・
「自分とは何か?」というテーマを、わかりやすく解説しています。
伝統的に、私という感覚の正体を見破ることが【悟り】とされてきています。
メタ認知5階層でいえば、階層5『メタメタ認知』の領域。
・【保存版】メタ認知とは?|思考と感情を客観視する脳機能を5階層で完全解説
つまり、最も難しい最後のテーマにもかかわらず、ここまでの大ヒットをうんでいる、この本は驚異的。
さて、では、科学的には、どうなのでしょうか?
2.自分とかないから(科学編)
さて、東洋哲学では「固定された【私】は存在しない」という話でした。
では、科学的には、どうなのでしょうか?
実は、衝撃的なのですが・・
近年の脳科学でも、似た話が出てきています。
どういうことか?
私たちは普段、「私が考えた」「私が決めた」と思っていますよね。
でも実験では、本人が『決めた』と自覚するより前に、脳活動が始まっていることが確認されています。
つまり「よし、右手を上げよう」と意識的に決める前に、脳の中では、すでに動く準備が始まっているんですね。
うん?どういうこと?
つまり、【刺激に対する反応】として、思考や体は、自動で動いている。
で、その後に「私が考えた」「私がやった」と、後から、『私』をつけたして認知しているかもしれないんです。
例えば・・
猿など動物は、【刺激に対する反応】として、動いていますよね?
「餌が視界に入る」という刺激に対して・・
「餌を獲得しようとする」という反応行動が起きる。
これ、生物として普通ですよね。
じゃあ、人間の場合は?
「ご飯が視界に入る」という刺激に対して・・
「ご飯を食べようとする」という反応行動が起きる。
ここまでは、他の生物と同じ。
で、その後に「私が、これを選んで食べた」と、後から『私』がつけたされて、認知されているだけかもしれないわけです。
で、「まず先に、思考や体が動く」→その後に「『私がやった』という物語が作られる」
この間が、あまりに短いので、私達には、こう感じられる。
「私が考えて、私が選んで、私がやった」
でも、実際には、ただ【刺激に対する反応】として、思考や行動が、行われているだけかもしれない。
お、お、お・・これ、本当?
もし本当だったら、いろいろとヤバい話ですよね。
でも、科学は、この可能性を示唆している。
「えっ?じゃあ、なぜ『私がやった』という物語が作られるわけ?」
「『私』という感覚が、人間には、あるわけ?」
いいツッコミ、ありがとうございます。
脳は、膨大な情報を処理していますよね。
で、そのままだと複雑すぎる。
そこで脳は「これらの経験をしている脳内の中心点」を作る方向に、進化した。
それが『私』という感覚。
逆をいえば、『私』という認知の中心点がないと・・
「これらの経験をしているのは誰なのか?」曖昧になり、複雑な認知できないですよね。
そう、だから。
進化の過程で、高度な認知を行うために、脳が作るようになった『認知の中心点』・・
それが、『私』という感覚かも、しれないんですね。
もちろん、これは「永続的な意識主体としての、私は、実在していない」と証明されたわけではありません。
脳科学でも、意識や自我の正体は、まだ完全には解明されていない。
ただ少なくとも、私たちが当たり前だと思っている・・
「私という主体がいて、その私が全てをコントロールしている」
この見方には、疑問符がつき始めているんですね。
では、ここからが本題。
あなた自身の脳内を観察しながら、【私】という感覚の正体を確かめてみましょう。
3.自分とかないから『実践ワーク』
では、今から1分で「自分とか、ないかも」と認知が変わる『実践ワーク』を、やってみましょう。

まず、あなたが1番、嫌いな人を思い浮かべてみてください。
是非、実際に、やってみてくださいね。
そう、あの、ムカつく、最低な、あの人。
で、あの人から、また、嫌な事を言われた状況を、イメージしてみてください。
はい、どうぞ。
あ~、うざ。マジで、やっぱり、あの人、ムカつく。
イライラしてきましたよね。
で、今、「自分はイライラしてきた」と、自分でわかりますよね。
あれ?なんで、わかるんだろう?
なぜ、「自分はイライラしてきた」と、自分でわかるのでしょうか?
もし、自分が1人しかいなかったら、「自分は今、イライラしている」と、認知できないですよね。

自分自身を、一歩、ひいた視点から、見ている、もう1人の自分がいるから・・
自分を、観察している『もう1人の自分』がいるからこそ。
「あ、今、自分はイライラしている」と、認知できるわけで。
そう、つまり。

あなたの中には、自分を、観察している『もう1人の自分』いるわけです。
で、その『自分を観察している自分』が、心理学メタ認知。
メタ認知とは、思考や感情を、観察・モニタリングする脳機能。
このメタ認知があるから、「あ、今、自分はイライラしている」と、気づけたわけです。
でね。
「あ、今、自分はイライラしている」と、気づいたのは、誰でしょうか?
自分ですよね。
じゃあ、イライラしているのは、誰でしょうか?自分ですよね。
あれ?おかしいな。
自分が、2人いる?
そう、あなたの中には、2人の自分が同時にいる。
・【衝撃】私は2人いる|自動思考の私と観察者の私―人生の主導権を取り戻す方法
ポイント
①イライラしている自分
②イライラしている自分を、見ている自分
あれれ?
自分って、1人じゃないの?
自分って、2人いるの?
え?じゃあ、なんで、自分が2人もいるの?
これ、科学的に言えば・・
『イライラしている自分』って、まあ、本体みたいなものですよね。
動物だって、イライラしたりする。
でも、人間の場合は、進化の過程で、『自分を観察する脳機能』が発達した。
それがメタ認知なわけですが・・
つまり、この『自分』という感覚って、脳機能に、すぎない。
だから、こんな、おかしなことが起きる。
イライラしているのも、自分だし・・
イライラしている自分に、気づいているのも、また自分。
そう、『私』という感覚は、認知のための脳機能にすぎない。

だから、メタ認知が進化していき、メタ認知階層4【本能的な自我メタ認知】まで進むと、こうなる。
「イライラの衝動を、私は、見ている」
今までは、こうでしたよね?
「私がイライラしている」
『私』という感覚の位置が、本能的な自我の側にあった。
でも、メタ認知階層4になると、こうなる。
「イライラの衝動を、私は、見ている」
そう『私』という感覚の位置が、かなりの程度、メタ認知側・観察者側に、移るんですよね。
そう、『私』という主体感覚の位置が、脳内で、ズレてしまう現象が起きる。
このことからも、『私』という感覚は、認知のための脳機能にすぎないことが、わかりそうです。
そう、だからこそ。
私達には、まるで『私』という不変的な魂のような、永続的な意識の主体が、実在しているように感じられる。
でも、この『私』という感覚は、認知のための脳機能にすぎないのかもしれない。
これを、科学的に、知識として知るのではなく・・
高まったメタ認知能力により、自分の脳内を観察して、見抜いてきた人達が、昔から点在してきている。
それが、ブッタや老子など、東洋の賢者たちなわけですね。
では、最後に、こう言ってみてください。
「イライラの衝動を、私は、見ている」

これが、メタ認知階層4であり、【観察者意識】が定着した状態です。
私は、感情ではない。
私は、思考ではない。
私は、それらを見ている観察者だ。
これが、メタ認知階層4。
本能的な自我すら、観察できるメタ認知レベル。
そして、その観察者の「私」すら、観察するのが、メタメタ認知であり、階層5。
・ガチ【悟り体験談】観察者が消える日|メタメタ認知で「私」が消えた日
メタメタ認知をすると、観察者の「私」すら、脳が作り出している仮構にすぎないことが見えてきます。
その認知状態が、いわゆる【悟り】。
<補足解説>
私もそうなのですが、大人の趣味的に・・
悟りへの道を、楽しまれている方も、いらっしゃると思うんですよね。
で、私も、誤解・混乱していたのですが。
スピリチュアルでは、こう言う話も多いですよね。
ポイント
私は、感情でも、思考でも、ない。
私は、それらを見ている観察者だ。
で、それを「悟り」と表現したりする。

でも、それは、伝統的に「悟り」と表現されてきた段階ではなく・・
メタ認知5階層で言えば、階層4【本能的な自我メタ認知】の段階です。
メタ認知の完全覚醒であり、その意味では、完全覚醒者。
ちなみに、メタ認知階層3【思い込みメタ認知】が、覚醒段階ですね。
で、伝統的な「悟り」とは、階層5【メタメタ認知】の段階。
でね、これらはメタ認知の進化過程であり・・
階層5【メタメタ認知】まで進むためには、まず、階層4【本能的な自我メタ認知】の段階を通る必要があるんですよね。
本能や自我すら、観察できる段階。
で、本でもYouTubeでも、この「本能や自我を観察する話」つまり階層4の話って、稀なんですよね。
だって、自我を観察するのは、自我の痛みが伴うから。
だって、本能を直視するのって、自我が嫌がるから。
だから、心理学では、ギリギリ階層3【思い込み】までは扱うけど、階層4の本能や自我の話は、ほとんど扱わない。
で、スピリチュアルでは、自我や本能の観察を、すっ飛ばして、「私は幻想」と、いきなり悟りの話をする。
そう、階層4の、本能や自我の観察を、丁寧に扱う話って、とっても少ないんですよね。
だけど、ステップとしては、階層4の、本能や自我を、観察できる段階を通過する必要がある!という話なんですよね。
さて、ここまでが、補足解説でした。
4.まとめ
さて、いかがでしたでしょうか?
今回のテーマは「自分とか、ないから」でした。
かなり衝撃的な話だったかもしれません。
私たちは普段・・
「私が考えている」「私が悩んでいる」「私が怒っている」
そう思っています。
でも、東洋哲学は問いかけます。
「本当に、そうなの?」と。
そして、現代の脳科学もまた・・
「私という感覚は、脳が作り出している認知モデルかもしれない」
そんな可能性を示唆し始めています。
もちろん、今日の動画で、「自分なんて存在しない!」と断言したいわけではありません。
意識や自我の正体は、今もなお、科学的には、完全解明は、されていないからです。
ただ、少なくとも。
私たちが当たり前だと思っている・・
「私という主体がいて、その私が人生をコントロールしている」という世界観は、絶対ではないのかもしれない。
そう考える余地は、十分にありそうです。
そして、もし。
あなたが、考えすぎて苦しい。
感情に振り回されて苦しい。
他人と比較して苦しい。
過去や未来に苦しんでいる。
そんな状態なら・・
今日の話は、大きなヒントになるかもしれません。
なぜなら。
苦しんでいるのは、あなた自身ではなく、脳内で起きている思考や感情の動きなのかもしれないから。
ラストメッセージ
最後に、ひとつだけ。
今、この瞬間。
あなたの頭の中には、何かしらの思考が浮かんでいるかもしれません。
「難しかったな」「いや、よく分からない」「面白かった」「本当にそうなの?」
どんな思考でも、かまいません。
その思考を、ほんの少しだけ観察してみてください。
「あ、今、こう考えたな」と。
すると、不思議なことが起きます。
思考がある。
でも、それを見ている何かもある。
感情がある。
でも、それを見ている何かもある。
では。
その「見ている何か」とは、一体何なのでしょうか?
もし興味があるなら、是非、この問いを持ったまま、日常生活を過ごしてみてください。
もしかしたら、ある日突然。
ブッダや老子が見ていた景色の入り口が、見えてくるかもしれません。
なお、『私の位置がズレる』という話について、こちらの動画でも、話しています。
あなたは、日常生活の中で、『私の位置がズレている時』を、経験していませんか?
例えば、怒っているハズなのに、どこか冷静な自分も、同時にいる。
例えば、「あ、今、こう考えているな」と、気づいてしまう瞬間がある。
そんな時って、私の位置が、観察者側に、ズレかけているんですよね。
で、より、強く、観察者側に、私の位置が定着すると・・
感情や思考を、高度に観察できるようになって、自己コントロール能力が、上限値付近まで高まります。
まあ、達観した人、何をやっても冷静に、いろいろこなせちゃう人に、なるわけですね。
そういった人、今までの人生で、出会ったことがありませんか?
もし、あるなら、そういう人って、私の位置が、観察者側にあるんですよね。
この話、以下が詳しく、気軽にチェックしてみてください。
・【一部公開】「思い込みメタ認知vs自我メタ認知」違いとは?「私」の位置
というわけで今回は、『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』を参考にしながら・・
【私】という感覚の正体について、お話しさせて頂きました。
なお、メタ認知や、メタ認知5階層、『観察者こそ、最後の自我だった』など、以下の記事が詳しいです。
・メタ認知とは?【自己メタ認知vs他者メタ認知】高い人/低い人の特徴
・【保存版】メタ認知とは?|思考と感情を客観視する脳機能を5階層で完全解説
・【完全版】「私とは」自我の正体|本能・思考・観察者の三層構造と“無我”の科学
さて、最後まで、ありがとうございました。感謝しています。
<名無き仙人>




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